2005年02月17日

独特の「喪失感」と「孤独感」

SFCに行かなくなって、車に乗る時間が極端に減り
その分電車に乗っている時間が増えました。
ここ3年間は車での移動が主だったから
電車に乗るのが新鮮でしょうがなかったのですが、
今日久しぶりに車を運転していたら、そっちのほうが新鮮に感じてしまった。
「慣れ」とは恐ろしいものです。
いつも新鮮な気分でいるのは、きっと無理なんだろう。

ところで電車での移動は何がいいかというと
とにかく「本」を読む時間がたくさんあるのがいい。
遠ければ遠いほど本が読めるのを嬉しく思うことは多々あるし、
ひどいときには続きが気になって、電車を降りてもそのままホームのベンチで
読み続けてしまうこともあります。

主な交通手段が車になってイイコトはたくさんあったけれど、
この「本を読む時間」を奪われたのは決定的に痛かった。
そんなの家で読めばいいじゃないか、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが
「本を読む時間」とは「本を読む時間」にしかとれないものです。少なくとも私はそう。
読みかけの本の残りを家で読むことはあっても、
家で新しく本を読み始めることはあまりありません。
ただ逆に読みかけの本ならば、2日間貫徹してでも読みきってしまうこともある。
いつだって両極端な私の人生。もっとうまく生きられないものか…。


一番好きな作家は、と聞かれれば間違いなく村上春樹。
村上氏の文章から感じられる、独特の「喪失感」や「孤独感」をにおわす温度がとても好きです。

彼の作品は、短編、長編、エッセイを通してほぼ全部読んでいるつもりだったけれど、
「あぁ、そういえば」という感じで、読み落としているのをひとつ見つけました。

「遠い太鼓」

この本は、村上氏が長い海外生活のスケッチをまとめた、エッセイです。


久しぶりに村上春樹の文章を読んでいて、陳腐な言い方をすれば、とても癒されました。
多くの人にとってそうであるように、
私にとっても文章を書くという作業はある種の癒しの効果があります。

私の中の何かが、自分の感情の流れを、文字という目に見える形でせき止めることを
私に対して望んでいるように感じます。

そしてその流れをうまくせき止めることができたならば、多かれ少なかれ、
その文章を書いた私は、書かなかった私より、幾分気持ちが楽になるのです。

以前、「言葉にできない思いを表現できる言葉があるとすれば、その一つは間違いなく音楽。
音楽が自分の心をうまく投影してくれると不思議と癒される」と書いたことがあります。

しかし、「言葉にできる思いを、表現できる言葉にする」という作業には
音楽とはまた違った、よりリアルな、実体を伴った癒しを
私は感じることができるのだと思います。


「遠い太鼓」面白い。


村上氏の文章を読んでいると、自分がうまく表現できない感情を
変わりに表現してくれているような、不思議な感覚にしばしば陥ります。
ここまで自分を投影できる作家は、彼をおいて他にはいません。


今さら村上春樹を語ろうだなんて、なんだか本当に恐縮なのですが、
久しぶりに本を読む日常がもどってきて、その中で改めて村上春樹の文章に触れ、
彼の世界があまりにも心にスッと沁みこんできたので、
思わず「私の中の何か」の要求に答えてしまいました。笑


明日は「トニー滝谷」を見に行ってきます。

at 01:47│Comments(0)

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