脳みそを電車で持ち歩く時代・後編失われる記憶たち

2006年07月19日

不自由な記憶

笑い話です。

前回に引き続き、小学校ネタをもう一つ。

それは小学校3年生のときでした。
私のクラスには「グループ日記」というものがあり、
机が近い者同士が6人1グループとなって
一日交代で1人ずつ日記をまわしていました。

その日は私の担当の日で、朝書いてきた日記を先生にだし、
放課後に先生がチェックをつけたあとで
いつものように次の人にまわすハズでした。

その日、私が書いた日記のタイトルは、
「友達が引っ越しちゃった」というなんのヒネリもないもの。

当時同じマンションに住んでいた、一番仲のよかった友達が
静岡県に引っ越してしまったので、
そのさみしい気持ちを素直に書きました。

そのありったけの思いを日記にぶつけたのにっ!!!!

その日記は、きっと涙なしには読めない内容のはずだったのに
私のした失敗はものすごいものでした。


なんと、

「友達がひっこしちゃった」
「友達がしっこしちゃった」と書いたのです。

そんな、うそ、まさか、信じられない…。

昔から「男子」を「だんこ」と読んだり
「帰国子女」のほかに、「帰国子男」が本気でいるんだと
思っていたり、相当恥ずかしい間違いを犯してきた私ですが、
その中でも恥ずかしさを通り越して、
むしろ傷になっているのがこの間違い。


もちろん楽しみにしていた先生の感想はなし。
ただ、「し」を「×」で消され、上から「ひ」に直されて、
添えられていたコメントは、

「先生びっくりしちゃったよ」の一言。

そんなん私のほうがびっくりしちゃったよって話です。

とにかく先生が赤で印をつけるもんだから、
その後そのグループ全員に大笑いされたことは
火を見るよりも明らかです。
それをネタにできるほど私は大人になりきれなくて
ただ恥ずかしさで泣きたくなりました。

なんでこう小学校のことで覚えていることって
嬉しいことよりも、恥ずかしいことのほうが多いんだろう。
他にも恥ずかしい記憶ならたくさんあります。

人の記憶って、不自由ですよね。
この先、私の不器用な脳みそは、
何を捨てて、何を選び取っていくのでしょうか。


…いや、やっぱこんな受身なことじゃいかん。

決めるのは自分だ。

勇気と想像力をもって、このしんどい時期を乗り切ろう。


at 07:32│Comments(4)

この記事へのコメント

1. Posted by babapon   2006年07月20日 19:08
忘れたい事の多さにどっぷりと 浸かっている私。でも 若い君は 思い出に換える術を 会得するはず。 
2. Posted by 桂   2006年07月21日 00:10
書き込みありがとう!
思い出に変える術……たしかに。
「いつか笑える時がくる」というのは
一見楽観的なようで、実はすごく重要なことだよね。
このblogの話も、笑えるだけよしとしよう。笑
3. Posted by 江原   2006年08月02日 00:27
江戸っ子の発音なんでしょう。
4. Posted by 桂   2006年08月02日 02:31
江原さん、書き込みありがとうございます。
そうそう、笑いのセンスが分かっていない先生にこそ、
問題がありますよね。笑
江原さんみたいに、「江戸っ子の発音」とかいって、
フォローしてくれるくらいの(またはこっそり教えてくれるとか)
力量があればよかったんだー。
てやんでぇーい。笑

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