2006年10月28日

永久運動する好きと嫌い

突然ですが、「啓示」という単語を辞書で調べると、
以下のようなことがでてきます。

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けいじ 0 【啓示】
(名)スル
(1)明らかに表し示すこと。
(2)人の力では知り得ないことを神が教え示すこと。
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ここに書いてあるとおり、普通、啓示とは
自分の能力や判断を超えた力によって、
なんらかの気づきが与えられることで、
どちらかといえばオカルトちっくな文脈で使われることが多いと思う。

でも今日、ソレは神からだけではなく、
生身の人間からも与えられることを、改めて実感しました。

幸運なことに、私には困ったとき、
いつも非常に建設的な助言を与えてくれる人がいます。
でも、助言は助言であって啓示ではない。

今まではそう思っていました。

でもそうじゃなかったのです。

というのも最近、彼の助言をするタイミングが神がかってきたからです。
私が一番ほしいときに、必ずソレはむこうからやってくる。
何も言ってないのに、どうしていつもわかるのか。

「彼は一体何者なんだろう」なんて、それこそオカルト的な領域に
踏み込みそうになったけど、そんなんじゃなくて、
ましてや何者でもなんでもなくて、ただ単に本当の意味で人を
大切にできる人なのだと思いました。


・・・と、この文章を書いたのは少し前のことですが、
人生はやはり人との出会いだと改めて思います。

彼が私にとって啓示的人間だからって、別に彼を
崇めているわけではないし、ましてや、いつもは刑事みたいに怖いので
なかなかこの気持ちを持ち続けることは難しいけれど、
彼への感謝を再び忘れかけていた今、昔のメモを見たのも
きっと何かの縁なので、この期にアップしてみます。

振り返ってみると、そこには確かに「想い」があった。

本当だったら自分に啓示を与えてくれるような人間は
いつも変わらず「好き」なはずなのに
どうしても手放しで「好き」といい続けることができない。

どうしてなんだろう。

もしかしたらそれは、自分の中にある何かが
彼の中のある種の「原型」を切望しているからなのかもしれません。

こういう言い方って難しいかな。

つまり体の奥底にある自分の肝のような部分が
ただそうなりたいのだと私に訴えてくるのです。
だから彼ではない自分が時々すごくもどかしい。


そういえば昔、もう一人だけ同じようなことを感じた人がいました。
こういうのって、あるいは「ただ単純に君の事すきなのさ」的な
世界なのかもしれません。笑

好きだけど、嫌い。
嫌いだけど、好き。

こんな永久運動みたいなシンプルな想いが
今日も行ったり来たりです。


at 15:36│Comments(3)

この記事へのコメント

1. Posted by ehara   2006年10月31日 00:19
キャー照れる!
2. Posted by 桂   2006年10月31日 01:01
>eharaさん
書き込みありがとうございます。
でもごめんなさい、実は書き込みみて
普通に笑ってしまいました。ふふ。笑
でもeharaさんにも渋谷で飲んだときとか
アドバイスいただいて、本当に感謝してるんですよ!!
ありがとうございます{笑顔}
3. Posted by ehara   2006年11月02日 23:34
まあ、いいってことよ。
と偉そうに言いたいところなんだけど…
渋谷で何を言ったか覚えてません!
たぶん偉そうにべらべら言ったに違いない。
あー恥ずかしい。
逆に聞いてくださってありがとう。

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