2004年08月
2004年08月30日
うちじゃ月は不条理じゃなくて、バナナだから!
この言葉は、2人の子供をもつ私の友達が私にいった、会話の中での何気ない一言です。
この言葉をきいてあらためて思うと、子供の想像力って本当にすごいと思う。
今日はそんなお話デス。
心理学の有名な話で、紙に「・」とかいて「何に見えますか?」と質問すると、
ほとんどの大人が「点」と答えます。
しかし、ひとたび子供に同じ質問をすると、「テントウ虫」とか「満月」とか、
思いもつかないような答えが返ってくるそうです。
私の「月は不条理だ」なんていう悶々とした心的環境なんて、
こんな子供たちを前にしたら、ホント馬鹿らしくなってしまいますよね。
無理に頭をひねっても、私には「・」は「点」であり、それ以外にはみえません。
それでも無理に絞りだすと、「よくよくみたら、星にみえてきたわ」とかなんとか
自分でいってても恥ずかしい台詞をはかなくてはならなくなってしまいます。笑
…あ、でも今もっと恥ずかしいことおもいついた!
「・」は「あなたの可能性」なんてどうでしょう?
まるでただの黒い種が色とりどりの花になるみたいに、
「・」にはあなたの可能性ががつまってるんです。なんてね。はずかしー。笑
でもはっきりいって、大の大人が「・」をみて「テントウ虫に見える」なんていったら、
誉められるどころか、ちょっとヘンな目でみられてしまうから悲しいですよね。
「普通」ってなんなんでしょう。
人は成長するにつれて想像力を奪われてしまうのだろうか、とかなんとか、またとんでもないことを考えてしまいそうです。
そもそも「想像力」ってなんなんだろう、とかね。
ようは、
三日月はバナナ!
満月はオレンジ!
新月はごちそうさまでした!
それでいいんです。
なんで子供がいうとこんなにも感銘をうけるのかは、もしかしたらそこに「理由」がないかもしれません。
こんなことを考えていると、昔夕焼け空を見上げて
「凍らしたゼリーみたい」なんていってた自分が懐かしく思えます。
その頃の私には、心底、雲の感じがそのとき好きだった凍らせたゼリーみたいに見えていました。
「だってそうみえるんだもん」で片付くから子供は本当すごいですよね。笑
むしろそのような私の発言を誉めて喜んでくれた親が、私にはなんでそんなに驚くのか不思議でしょうがありませんでした。
今はどんな空を見上げても、「きれー(>▽<)」としかでてきません。
今度夕焼けをみて、何に見えるかじっくり考えてみようかな。
なにかまた、恥ずかしい台詞がおもいついたらupします。笑
この言葉をきいてあらためて思うと、子供の想像力って本当にすごいと思う。
今日はそんなお話デス。
心理学の有名な話で、紙に「・」とかいて「何に見えますか?」と質問すると、
ほとんどの大人が「点」と答えます。
しかし、ひとたび子供に同じ質問をすると、「テントウ虫」とか「満月」とか、
思いもつかないような答えが返ってくるそうです。
私の「月は不条理だ」なんていう悶々とした心的環境なんて、
こんな子供たちを前にしたら、ホント馬鹿らしくなってしまいますよね。
無理に頭をひねっても、私には「・」は「点」であり、それ以外にはみえません。
それでも無理に絞りだすと、「よくよくみたら、星にみえてきたわ」とかなんとか
自分でいってても恥ずかしい台詞をはかなくてはならなくなってしまいます。笑
…あ、でも今もっと恥ずかしいことおもいついた!
「・」は「あなたの可能性」なんてどうでしょう?
まるでただの黒い種が色とりどりの花になるみたいに、
「・」にはあなたの可能性ががつまってるんです。なんてね。はずかしー。笑
でもはっきりいって、大の大人が「・」をみて「テントウ虫に見える」なんていったら、
誉められるどころか、ちょっとヘンな目でみられてしまうから悲しいですよね。
「普通」ってなんなんでしょう。
人は成長するにつれて想像力を奪われてしまうのだろうか、とかなんとか、またとんでもないことを考えてしまいそうです。
そもそも「想像力」ってなんなんだろう、とかね。
ようは、
三日月はバナナ!
満月はオレンジ!
新月はごちそうさまでした!
それでいいんです。
なんで子供がいうとこんなにも感銘をうけるのかは、もしかしたらそこに「理由」がないかもしれません。
こんなことを考えていると、昔夕焼け空を見上げて
「凍らしたゼリーみたい」なんていってた自分が懐かしく思えます。
その頃の私には、心底、雲の感じがそのとき好きだった凍らせたゼリーみたいに見えていました。
「だってそうみえるんだもん」で片付くから子供は本当すごいですよね。笑
むしろそのような私の発言を誉めて喜んでくれた親が、私にはなんでそんなに驚くのか不思議でしょうがありませんでした。
今はどんな空を見上げても、「きれー(>▽<)」としかでてきません。
今度夕焼けをみて、何に見えるかじっくり考えてみようかな。
なにかまた、恥ずかしい台詞がおもいついたらupします。笑
at 02:41|Permalink│Comments(5)
2004年08月27日
泥でドロドロ。歌でトロトロ。
隊長ぉー!!!
いってきましたぁぁぁぁーー(>▽<)!!
…というわけで、今日は横浜にカラオケに行きました。
最初は連日の寝不足で疲れていて歌う気なんてまったくなかったのですが、
少し歌い始めたらいきなり私の「歌いたい熱」がMAXに!!
火をつけてくれたのは、Puffyの「愛のしるし」です
時間は2時間、人数は2人!
歌いたい熱を消化するにはもってこいのコンディションです。。
とにかくページをめくって歌いたいのがあったら片っ端からいれていき、いれていくそばから歌っていきました。
(でも調子こいてサンボマスターとかいれたら全然歌えなくて逆にストレスになっちゃったよー笑>土伸さん)
それにしても今日びのカラオケの値段にはびっくりですね。なんと30分90円!
しかも椅子はふかふかソファだったので、こんなんだったら喫茶店でお茶飲むよりもよっぽどくつろげるかも、と思ってしまいました。
そして2時間気持ちよく歌い終え、酔っ払いのおじさんさながら鼻歌まじりにカラオケ屋さんを後にしました。
本当に気持ちよかった。
自分の中の泥が一層された気分です。
あいにくトロトロになるような歌声ではないのですが、ようは自己満足です。
…ただ、泥というものは一層されたそばからまた流れ込んでくるもの。
泥でドロドロになっては、歌でトロトロになる。
そーゆーシステムなら、それはそれでいいのかもしれない、とふと思いました。
たとえ泥がたまりすぎて泥人間になってしまったとしても、
歌を探してまた旅にでればいいだけのことです。
ららららら。
いってきましたぁぁぁぁーー(>▽<)!!
…というわけで、今日は横浜にカラオケに行きました。
最初は連日の寝不足で疲れていて歌う気なんてまったくなかったのですが、
少し歌い始めたらいきなり私の「歌いたい熱」がMAXに!!
火をつけてくれたのは、Puffyの「愛のしるし」です
時間は2時間、人数は2人!
歌いたい熱を消化するにはもってこいのコンディションです。。
とにかくページをめくって歌いたいのがあったら片っ端からいれていき、いれていくそばから歌っていきました。
(でも調子こいてサンボマスターとかいれたら全然歌えなくて逆にストレスになっちゃったよー笑>土伸さん)
それにしても今日びのカラオケの値段にはびっくりですね。なんと30分90円!
しかも椅子はふかふかソファだったので、こんなんだったら喫茶店でお茶飲むよりもよっぽどくつろげるかも、と思ってしまいました。
そして2時間気持ちよく歌い終え、酔っ払いのおじさんさながら鼻歌まじりにカラオケ屋さんを後にしました。
本当に気持ちよかった。
自分の中の泥が一層された気分です。
あいにくトロトロになるような歌声ではないのですが、ようは自己満足です。
…ただ、泥というものは一層されたそばからまた流れ込んでくるもの。
泥でドロドロになっては、歌でトロトロになる。
そーゆーシステムなら、それはそれでいいのかもしれない、とふと思いました。
たとえ泥がたまりすぎて泥人間になってしまったとしても、
歌を探してまた旅にでればいいだけのことです。
ららららら。
at 03:56|Permalink│Comments(4)
創作意欲
「もう自分には文章なんてただの一文字もかけないんじゃないか」
と思わせる真夜中の3時25分
自分の中の文字という文字が、まるで指の間からこぼれていくみたいに消えていく
自分の中の時間がとまる
何も生まれない、何も失われない
時間がとまったままの私は、
時間が止まったまま、時の流れに流されていく
自分の中でキレイだったものは、いつのまにか廃れていて
完全だと思っていたものは、ふと気が付けば虫食いだらけ
真夜中の3時25分
今夜も空を見上げれば不完全な月
と思わせる真夜中の3時25分
自分の中の文字という文字が、まるで指の間からこぼれていくみたいに消えていく
自分の中の時間がとまる
何も生まれない、何も失われない
時間がとまったままの私は、
時間が止まったまま、時の流れに流されていく
自分の中でキレイだったものは、いつのまにか廃れていて
完全だと思っていたものは、ふと気が付けば虫食いだらけ
真夜中の3時25分
今夜も空を見上げれば不完全な月
at 03:55|Permalink│Comments(3)
2004年08月25日
脱・根性なし
戦いだぁ、戦いだぁ!
世の中には2種類の人間がいる。
すなわち、「泳げる人間」と「泳げない人間」である。
私は限りなく後者に近い人間だと思います。
水でパシャパシャやっているのは好きなのですが、「息ができない」という状況はとても苦手。
今日はさっちとせっちゃんと子供達と、逗子のプールに遊びにいきました。
最初の目的は「子供達をプールに連れて行ってあげよう!」というものだったのですが、
目の前に広がる25mプールをみたら、胸の中に熱い思いがフツフツと湧きあがり、
勝手に燃え始めてしまいました。
というわけで、突然ですが目指すはあの星笑
一時子供たちをせっちゃんとさっちに預け、
「脱・根性なし」を実践するため単独で「25mクロール」に挑戦しました。
1回目失敗。
なんと1コースを泳いでたら、8mくらいでプールサイドに頭をぶつけてしまいました…。
よ、よ、世の中には2種類の人間がいる。
すなわち、「まっすぐ泳げる人間」と「まっすぐ泳げない人間」だ…。
私は限りなく後者に近い人間だと思います(涙目)。
隣でさっちの笑い声が聞こえましたが、無視して気づかれないようにそっと真中に移動し、再挑戦!
恥ずかしいので途中経過は省きますが、ついに25m達成です!やったぁ、やったぁ!
人間やればできるんですね(ホロリ)
あきらめたらそこで負けだと、昔のえらい人はいいました。
でも、それにしてもキレイに泳げる人は本当にうらやましいです。
「私、生まれ変わるならサカナになりたいの」なんてことはいいませんが、
いつかは海の中を自由自在に泳いでみたいです(たぶん無理。笑)
世の中には2種類の人間がいる。
すなわち、「泳げる人間」と「泳げない人間」である。
私は限りなく後者に近い人間だと思います。
水でパシャパシャやっているのは好きなのですが、「息ができない」という状況はとても苦手。
今日はさっちとせっちゃんと子供達と、逗子のプールに遊びにいきました。
最初の目的は「子供達をプールに連れて行ってあげよう!」というものだったのですが、
目の前に広がる25mプールをみたら、胸の中に熱い思いがフツフツと湧きあがり、
勝手に燃え始めてしまいました。
というわけで、突然ですが目指すはあの星笑
一時子供たちをせっちゃんとさっちに預け、
「脱・根性なし」を実践するため単独で「25mクロール」に挑戦しました。
1回目失敗。
なんと1コースを泳いでたら、8mくらいでプールサイドに頭をぶつけてしまいました…。
よ、よ、世の中には2種類の人間がいる。
すなわち、「まっすぐ泳げる人間」と「まっすぐ泳げない人間」だ…。
私は限りなく後者に近い人間だと思います(涙目)。
隣でさっちの笑い声が聞こえましたが、無視して気づかれないようにそっと真中に移動し、再挑戦!
恥ずかしいので途中経過は省きますが、ついに25m達成です!やったぁ、やったぁ!
人間やればできるんですね(ホロリ)
あきらめたらそこで負けだと、昔のえらい人はいいました。
でも、それにしてもキレイに泳げる人は本当にうらやましいです。
「私、生まれ変わるならサカナになりたいの」なんてことはいいませんが、
いつかは海の中を自由自在に泳いでみたいです(たぶん無理。笑)
at 22:50|Permalink│Comments(12)
2004年08月23日
歌いたい熱
今、8年ぶりくらいに「カラオケに行きたい!」熱が到来中。きてます、きてます。
歌はしょっちゅう口ずさんだりはするのですが、「カラオケに行きたい」とまで思うのは本当に久しぶり。
みなさん歌の起源ってしってますか?
歌の始まりには色々な説があるそうです。
自然や神に訴えるときに通常とは異なる発声で声を上げ、それが歌の始まりだという説もあるし、一方で未だに「楽しいから口ずさむ」という自然発生説もあります。
でも歌の始まりといっても、実は明確に「これが歌の始まりだ」といえるものがあるわけではないみたい。
というのも「歌(音楽)」という概念が確立される遥か昔から、人々は自分の感情を伝えるとき、自然とその言葉に抑揚をつけてきたからです。嬉しいときは自然と声は高くなり、悲しいときには低くなる。つまり発話する以上、歌が生まれるのは至極あたりまえの流れだったというわけですね。
こんな風に歌の生まれたルーツを探っていくと、歌は「感情のダイナミクスを表わす(感情を表現する助けとなる)」なんてこともちょっと見えてきませんか?
私は歌を歌うのが好きです。
よくわからないけど、歌を歌うと自分の中にたまってる泥みたいなものが、ポロってとれる気がする。
言葉にならない感情が、「歌」というまったく別の形体で表現できるのかもしれないな、とちょっと考えてみたりして。それがたとえ普通のポップスだとしてもね。
まぁカラオケに行きたいと思うのは、より気持ちよく歌いたいだけなんだと思うけど。笑
ってかこんな風にうだうだかいてるけど、つまりはただ単純にカラオケに行きたいだけなのです。イェー。
歌はしょっちゅう口ずさんだりはするのですが、「カラオケに行きたい」とまで思うのは本当に久しぶり。
みなさん歌の起源ってしってますか?
歌の始まりには色々な説があるそうです。
自然や神に訴えるときに通常とは異なる発声で声を上げ、それが歌の始まりだという説もあるし、一方で未だに「楽しいから口ずさむ」という自然発生説もあります。
でも歌の始まりといっても、実は明確に「これが歌の始まりだ」といえるものがあるわけではないみたい。
というのも「歌(音楽)」という概念が確立される遥か昔から、人々は自分の感情を伝えるとき、自然とその言葉に抑揚をつけてきたからです。嬉しいときは自然と声は高くなり、悲しいときには低くなる。つまり発話する以上、歌が生まれるのは至極あたりまえの流れだったというわけですね。
こんな風に歌の生まれたルーツを探っていくと、歌は「感情のダイナミクスを表わす(感情を表現する助けとなる)」なんてこともちょっと見えてきませんか?
私は歌を歌うのが好きです。
よくわからないけど、歌を歌うと自分の中にたまってる泥みたいなものが、ポロってとれる気がする。
言葉にならない感情が、「歌」というまったく別の形体で表現できるのかもしれないな、とちょっと考えてみたりして。それがたとえ普通のポップスだとしてもね。
まぁカラオケに行きたいと思うのは、より気持ちよく歌いたいだけなんだと思うけど。笑
ってかこんな風にうだうだかいてるけど、つまりはただ単純にカラオケに行きたいだけなのです。イェー。
at 01:42|Permalink│Comments(2)