2005年12月

2005年12月08日

水中のペンギンのごとく!!

先日、家に帰ってきてテレビをつけたら、
フィギュアスケートの決勝トーナメントがやっていました。
ちょうど織田信成くんの優勝がきまったところで、
彼が号泣している姿をみて、そのあまりにも激しい泣きっぷりに
驚きを通り越して、思わずジーンときてしまった。

フィギュアスケートには、ある種、人間の完結された美しさを感じます。

まるで水の中を泳ぐペンギンみたいに、肉体の檻から解放されて、
空気の中を気持ちよさそうに泳いでいるみたい。

前にも書きましたが、私はとても“風”が好きな人間なので、
ああいうのを見ていると、体を通り抜けていく空気を想像して
たまらなくうらやましくなってしまいます。

私の場合、逆に、スケートシューズを履いたときのほうが、
陸の上のペンギンのごとくなってしまうので、あんな風に滑れるのは
憧れることの他に、できることがありません。笑


人ははぜフィギュアスケートのプロを目指すのでしょうか?
そこのスケートリンクがあったからでしょうか?

私はなぜフィギュアスケートのプロを目指さなかったのでしょうか。
そこにスケートリンクががなかったからでしょうか。

“本当に、”ただ、それだけなのでしょうか。

世の中には、考えれば考えるほど無限の選択肢が広がっているのに、
それに対して、自分の選択してきたものは、驚くほど少なかったように思えます。

誰だって一つくらい、水中のペンギンのごとくなれる場所があるはず。

あなたにもある。私にもある。

音楽をやっていても、テニスをやっていても、
自分が解放される気分になることはあるけれど、
それでおしまいじゃなくて、そこから先を目指したい。
それでおしまいじゃなくて、いつだって「喜び」には敏感でいたい。

それは趣味だっていいんです。仕事だっていいんです。
本当になんだっていいんだと思います。


…うーん、でもさ、やっぱ個性はあって然るべきだと思うけれど、
「僕はオサムシ(地表性で肉食の昆虫)の第一人者です」といわれるよりも、
やっぱり、「フィギュアスケートの第一人者です!」と言われるほうが
格段にイメージがいいですよね。

そーゆーのって、ちょっとうらやましーっス。笑


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2005年12月07日

自分のための物語


「私の人生はよく出来た金色のホルン」

と、彼女はいった。

音はならない。

なぜなら、それはつくりものホルンだから。
外側だけきれいに光る、悲しいホルン。

彼女はそれを、まるで自分の魂そのもののように、ピカピカに磨き上げる。
もっともっときれいに光輝くように。

誰にも、ニセモノだとは見抜けないように。

彼女は一人歌を口ずさみながら、
ホルンを磨きつづける。


やがて、一人の男がやって来る。

「きれいなホルンですね。ちょっと吹いてみてもらえませえんか?」

彼女は答える。

「ありがとう。でも今はそんな気分になれないの」

男は去っていた。

そして、また別の男かがやって来る。

「キレイなホルンですね。ちょっと吹いてみもらえませんか?」

彼女は答える。

「ありがとう。でも人前では吹かないことにしているの」

再び男は去っていった。

彼女は自分の元から人が去っていくたびに、
いっそうホルンを磨く手に力をこめた。

自分ではもはや、それが悲しみだとは判断できないくらい、
その深い孤独を、歌にのせながら。


ある日、いつものように彼女がホルンを磨いていると、
若干、年をとった男が近寄ってきて、彼女に言った。

「キレイな歌ですね」

彼女は驚いた。
今まで誰にも、ホルン以外のことで誉められたことがなかったからだ。

彼女は答える。

「いいえ、私の歌なんてひどいものです。
それよりこのホルンを見てください。とても綺麗だと思いませんか?」

「ホルンなんてどうでもいい」

男は答えた。

「僕はあなたの歌が聴きたいんです。 歌をうたってくれませんか?」

彼女は戸惑いながらも、いつもの歌をうたい始めた。

「どうもありがとう。」

そう言って、その男は去っていった。

男が去って行ったあと、彼女は不思議と悲しくなかった。


それからしばらくして、彼女はホルンを磨くことをやめた。

そして歌った。自分の声で。

歌は下手だったが、彼女は幸せだった。


誰にでも一つくらいは、自分を幸せにできる物がある。



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2005年12月01日

3分間の紅葉

こんなに鮮やかな黄をみたことがない。
こんなに深い紅を見たことがない。

息の詰まるような景色の中で、思わず言葉を失いました。

私の通う学校は、四季の景観がとても楽しめます。
春も綺麗だった。夏も綺麗だった。
でもやっぱりこの季節に勝る時期はないんじゃないだろうか。
私は秋が一番好きです(今はもう冬かな)。

紅の葉。

世界はかくも美しく、私はかくも単純に魅せられてしまいます。
なんでこんなに綺麗なんだろう。

昔から自然を見ていると、心が洗われ、流され、リセットされる気がします。
それは、まさにファミコンのリセットボタンをブチッと押すみたいに、
本当に簡単で、単純なこと。

まるでインスタントラーメンのごとく、3分間木を見上げていれば
それでなんだか、頑張れる気がするから、世界の成り立ちとは不思議なものです。

前に、
「一日にたった15分でいいから、
人間が創ったものではないものを眺めると、精神衛生上とてもよい」
という話をきいたことがあります。

でも、たとえ3分間だってその効果は絶大。

3分間だって、カチカチの麺はちゃんと食べられます。
(ちなみに私は固めが好きなので1分で食べます)笑

3分間だって、コチコチの心はちゃんと延びます。
(延びれば延びるほどうまいです。でもちょっと寒いのネ…)笑

そういうのって、けっこうすごい。
1冊の本を読んでも、1本の映画を見ても、1曲の音楽を聴いても、
リセットされるような感覚になることはたくさんあるけれど、
自然はこれらのどれともエネルギーの質が少し違うように思えます。

1日たった3分間。自分の心のクッキング。

ほんの少し立ち止まって、是非キューピーの音楽を頭に流してみてください。

するもしないも、あなた次第まる



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