2006年01月
2006年01月19日
鳴いて泣いて。
突然なのですが、私の猫が1月15日の明け方亡くなりました。
私と親しい人ならば、一度はきっと、日本ではちょっと変わった
この名前を耳にしたことがあるでしょう。
Denali、でなり、デナリ。
致死性ほぼ100%の、猫にしてはまれな病気にかかってしまい
「危ない」と医者からきいてから、4日後にこの世を去りました。
あまりに突然のことで、今でもちょっと信じることができません。
仙川で買い物をして、レジに並んでいる時に父親からメールをもらい、
持っている物を全てその場において、駅まで走った。
電車の中からすでに涙がとまらず、首に巻いているマフラーを
さらにグルグル巻きに目の下まで巻きあげて、泣いているのを隠しました。
おかげで大事なマフラーが鼻水だらけになってしまったけれど、
電車の中ではただひたすら下を向いて目をつぶり、
自分の心臓の音を聞いていた気がします。
大急ぎで家に帰って、デナリの顔をみると、
今度は私を見つめ返す、この2つの青い目を失うことを想像して、
いよいよ涙が溢れてきてしまいました。
なんで、こんな、悲しいことが、デナリに、おこらなければ、ならないのだろう。
最後の日は、なんだか嫌な予感がしたので、
夜は寝ないで彼女の体を温め、私は小さな声でずっと歌を唄っていました。
たくさんの歌を唄って、たくさんの歌を唄っているうちに、
最後はデナリのために唄っているのか、
自分を慰めるために唄っているのか分からなくなってしまった。
2時半になって3時になって、4時。
何曲目かわからない歌をちょうど唄い終わったとき、
彼女は突然大きな声で鳴き始め、そのまま1分後に
私の腕の中で息をひきとりました。
デナリがいなくなって3日。私は今仙川にいます。
逗子にいればどこをみてもデナリを感じていられたのに、
仙川には生活にデナリのニオイがまったくない。
私は今も、大声で発狂するほど悲しみたいのに、
仙川での非現実的な毎日は私にそれをすることを許してくれません。
ただわけもわからず無償に疲れる。
確かに胸には穴が空いているのがわかるのに
それが一体胸のどこにあいているのかわからなくて混乱する。
逗子にかえったら、またデナリに会えるんじゃないかなんて
ありもしないことを錯覚してしまう。
デナリを失ってしまった悲しみにちゃんと向き合って
きちんと心からの感謝の気持ちを、逗子に伝えにいかなければ。
まだ、うまくできるかは、わからないけど。
at 02:46|Permalink│Comments(0)